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さくら

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 いま西宮は満開の桜、宮津はあと少し。 冬が厳しければ厳しいほど、満開の桜の歓びはひとしおですね。 樹齢の古い桜は、まるでボクの人生を見続けてくれているようにも感じます。 嬉しい時、悲しい時、どんな時も無言で、年に一回、ご褒美をくれるんですよね。 西宮には全国的に有名な夙川河川敷公園以外にもアチコチに桜が咲いています。 ぼくは、越木岩神社の参道の桜並木がお気に入りで毎年定点観測してますね。笑  昨年からは天橋立の桜も楽しみなんです。 時期が微妙にずれているので 二度美味しいです。笑 日本人は古来から桜の満開と散り際を人生に擬えてると感じます。 それは、満開の桜と、見事な散りっぷりがあまりに対照的でしかも短期間に出現し、 「人生、かくありたい」 と思うんですよね。 植物をとても美しいメタファー、比喩的な存在として捉えるところに、日本人特有の美意識と潔さを感じます。 ボクは自分に満開の時期があったのかどうかすら分からない人生を送っていますが、散り際は桜のようでありたいですね。

KBS京都ラジオ「本日、米團治日和。」

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先月、桂米團治さんの番組「 本日、米團治日和。 」にゲストとして出演させていただきました。 その放送日時が近づいてきましたのでお知らせいたします。 4月6日(水)と13日(水)のそれぞれ午後5時半から6時まで。 2週にわたって放送されます。 この収録をボクは本当に楽しみにしていました。 米團治さんは、ぼくと全く同い年生まれ、同じ学年なんです。 高校は、 ぼくが県立芦屋高校で、米團治さんは県立尼崎北高校。(←進学校) めちゃ近くて、同じ阪神間の空気を吸って高校時代を過ごしただけでも親近感バリバリです! そして、クラシックをはじめとする音楽に造詣が深い方で、オフマイクの時は音楽談義で盛り上がりました! 実は14年前、サンケイホールの今は亡き田村支配人からオファーをいただいた仕事が、2008年の「米團治襲名披露」の時に、会場のサンケイホールブリーゼのホールに続くロビー通路でボクがピアノ( ピカピカの木目のスタインウエイ )を弾いて米團治さんを迎える、というものでした。 その時、たくさんの取り巻きのスタッフ等の方々に囲まれて、スタインウエイを弾いているボクの横を通ってホールに入っていかれました。 実はその時「目が合っていた」ので、ご本人に何かしらの記憶があるかお尋ねしたところ「いっぱいいっぱいだったと思います。覚えてません。」とのお言葉。 なんと正直で赤裸々な方やな〜と感じ入りました。 ※余談ですが、その時にスタインウエイを手配し調律してたのが、今現在ボクの調律をしてくださってる磻田さんだったのです! ご縁は繋がるものですね! 米團治さんは、落語界の大御所でいらっしゃいるにも関わらず、 人を圧するのではなく、フワッとした優しいオーラを発せられる方 でした。 「ホンモノもどき」は凄い圧のあるオーラを発します。 しかし「本当のホンモノ」は人に圧力をかけるオーラなんかかけません。 一見普通で心がホンワカしてジワっと温かくなるオーラを出すものです。 ボクが学ばねばならない一番大切なことだと思いました。笑 米團治さん、 ありがとうございました。 KBS京都のAMとFMの周波数は添付の画像にあります。 今時ですからパソコンで聴くこともできるし、スマホアプリ「radiko」でも聴取可能です。 皆様、ぜひお聴きくださいね! https://www.kbs-kyoto.co.jp/

「杉田あきひろ」のこと〜2〜 

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2021年7月京都府宮津市の「歴史の館文化ホール」、2021年10月兵庫県西宮市の「兵庫県立芸術文化センター小ホール」、2022年1月京都市の「妙心寺花園会館教科ホール」の3回の、ボクのバンド「The Trio Empathy」(Vn/渡辺剛・Vc/向井航)のコンサートにゲストとして出演をしていただきました。 それらコンサートでは、ボクが作詞作曲した楽曲を彼が唄い、ボクの「表現としての音楽」の具現化には、渡辺剛・向井航に並んで、不可欠な存在であることが回を重ねるごとにクリアになっていったのです。 そして、 ついに、杉田あきひろ・金谷康佑「The NEO」を立ち上げることになったのです。 命名はボクがしました。 「NEO」という言葉の意味は、ギリシャ語ですと「新しい」、英語ですと「復活」といったような意味があります。 杉田が「シンガーで、音楽家で、アーティスト」として、「新しい復活」を遂げてほしいという願いを込めました。彼も気に入ってくれたようです。 なぜボクは杉田と音楽の仕事をやっていくことにしたのか。 (これはとても大切な問いです。) それは、彼がボクの求めるシンガーだからです。 ですから、ボクと杉田は「Fifty Fifty」対等な関係です。 彼が悪いながらも話題になったからそれに乗じようと思っていないし、逆に、応援してやろうとも思っていません。 あくまで、ボクの音楽に彼が必要だから一緒に音楽を作り、 演奏し、仕事をするだけです。 ですから、ボクと杉田は「Fifty Fifty」対等です。 ボクはこの関わり方こそが重要だと思っています。  杉田は全国区の人ですので、 広範囲にわたって昔からのファンの方々がいらっしゃいます。 そういった方々は、杉田を本当に大切に思い、扱ってくれています。 しかしながら、逮捕後の世間の人は、覚せい剤で逮捕された元NHKの歌のお兄さん、興味津々で、有象無象の人が彼に寄っていくことでしょう。 最近現実にあったことですが、 ちょっと知り合っただけで、友達になった気分で、応援するふりをして、無責任に呑み会に誘ったり、無責任に人を紹介したり、無責任に仕事っぽいものを匂わせたり。。。 杉田は、無茶苦茶に繊細で傷つきやすく、そしてお人好しです。 そこに乗じる輩を彼は断れないのです。 こういう輩は、 杉田を前科者として色眼鏡で見ているし、結局「色物

「杉田あきひろ」のこと〜1〜 

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杉田との出会いは、 ドラマーの堀越彰 氏がオヤジのツアーに参加した時です。 僕はミュージカルが大好きでしたので、そのツアーのミュージカルの曲や語りを中心とした内容はすごく難しかったのですが、クオリティーは高かったし、それをやり遂げる杉田あきひろというアーティストは凄い!と感じていました。 そして2009年に西宮アミティホールでの僕のリサイタルに出演してもらいました。 その後は少し疎遠になっていましたが、共演のチャンスをうかがっていました。 そんな中、 2016年4月13日に彼は覚せい剤取締法違反の現行犯で逮捕されてしまいました。 NHKの歌のお兄さんとして全国に親子ファンが多かっただけに、また逮捕の内容が覚せい剤絡みということで、衝撃は大きかったように感じました。 ボクにとっても、共演者であり大好きなシンガーであり、そして何より、ボクの「表現としての音楽」の手助けをしてもらおうと思っていた彼の逮捕は、とても残念に思いました。 そして、同時に、彼の心身の健康をとても心配しました。 覚せい剤絡みの犯罪は「人を殺めたり、強盗したわけではないんだから、、」なんてことを言う人もいます。 しかし、ボクは、この犯罪の本質は、反社会勢力の資金源になったり、精神に異常を来して重大な犯罪を犯してしまう可能性があるところだと思っています。 そして、実はそれ以上に、家族や友人の心を傷つけてしまうという、法律には書いてないけど、法律以上に大きな罪を犯してしまうことになることだと思っています。 2016年6月20日に、懲役1年6ヶ月・執行猶予3年の判決がでて、しばらく経ってから彼の携帯に電話したりメールしたりしたのですが、どちらも不通でした。 後に本人から教えてもらったのですが、判決後、長野ダルクに入所し、そこは携帯電話を持つことを禁じられていたとのことでした。 さて、時は過ぎ、 2019年9月19日にFacebookで彼を発見しようやく連絡がついたのです。 すぐに仕事の打診をしたのですが、 彼は長野県松本市で介護の仕事をしていて今は松本を離れられないとのこと。 しかし、 2020年には東京に戻れるかもしれないので、 その時に具体的に仕事の話をしたいと思います、とのことでした。 そして、彼は東京に戻り、音楽の仕事の再開にも意欲を見せ、 ついに2021年7月4日の京都府宮津市での 「音楽のチカラ

コロナと戦争と。。

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今日のブログは、少し文字を大きくして書いてみました。 (自分も含む老眼の方々に少しでも読みやすくなれば幸いです。) 今日は全国的に荒れた天候だったそうですが、京都府宮津市は、昨夜から台風並みの暴風が吹き荒れました。外出はとても危険に感じましたので、一日、家の中でこちょこちょとデスクワーク的なことをやっていました。 4月の東京ツアーの準備もアレンジなどぼちぼち始めています。 4月と5月は比較的エネルギーの必要なスケジュールですでにいっぱいで、6月と7月のライブスケジュールを立てたいのですが、ステルスオミクロン・4回目のワクチンなどなどを予想すると、おいそれとスケジュールを立てることができないですね。 僕の場合、ライブやコンサートを開くにあたってルーチンとしている準備のステップが何段階かあって、決めた日程が延期や中止になるとそれらが全てやり直しを余儀なくされて、事務所はてんやわやになってしまうのです。 さて世界では、戦争の状況が地上波・SNSなどで日々報道されています。 僕はそれらの情報について、慎重に取り扱い、慎重に理解したいと思っています。 映像にしても、昔、僕のプロモーションビデオを撮影してくれた監督が僕に「こうすけさん、今日撮った動画で、こうすけさんを悪人にも善人にも仕立て上げることは簡単ですよ!笑」と言いました。僕は背筋が凍ったのを覚えています。笑  世界の国々や民族には、日本もそうであるように、その歴史や出来事があって今日がありますよね。 それに、それぞれの国と民族で、同じ事象でも解釈が真逆のことも多々あります。(よく聞かれる言葉に「日韓の歴史認識の違い」とかありますし。) 対立する国や民族が、歴史をどこまで遡って善悪をぶつけ合うのかも認識が異なるはず。 それによって、どっちが先に手を出したのかも認識が違うはず。 さらには、本当に驚くべきことに、真実が決して一つではないこともありうるのが国際社会だと感じています。 そして、日本から遠く離れた地域の歴史など知らないことが多いと思うんです。ウクライナとかロシアの細かい事、日本では事情がよくわからないですよね。 ですから、僕は、国と国の争いの場合、どちらに正義があるのかは、判断がつきません。 言えることは、「人を殺すこと」「人を殺させること」すなわち「戦争」はダメだ!という事だけです。 そして、僕は、その普遍的な価

魔法の黄色い靴

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今日は午前中、僕より5つくらい?年下の男性のレッスンでした。 彼は市民の安全を守る仕事に従事していて、定年も近づく中、音楽や農業などをすごく頑張って第二の人生の設計を着々と進められており、僕は尊敬しています。 彼は、かつて一世を風靡したバンド「チューリップ」が大好きでして、今レッスンしているのは、そのデビュー曲「魔法の黄色い靴」なんです。 それをピアノで弾き語りをしたい!とのご本人の希望で! 変拍子あり、転調ありのこの曲、なかなか大変なんですが。(^_^;) その難曲を、譜面も読めず、ピアノ経験のない彼には当然とても大変なことなんですが、とっておきの「誰にでも弾けるピアノ」のウルトラCで、楽しくレッスンしています。 どんなウルトラCなのかは企業秘密です〜!笑 年配で、ピアノ経験のない方が、趣味で楽しく弾けるようになりたいという場合、あまり基礎練習ばかりですと続かないですし、かといって、つまらない指のトレーニングも丸っきし省くわけにもいかず。。。 楽なことと、めんどくさくて面白くないことを、いかに、バランス良く練習していただくかが腕の見せ所ですね。笑 ※画像は記事とは関係ございません。 昨夜、呑みに行ってた宮津の「トップロープ」というBARです。 プロレスラー(覆面)の方がされてるんですよ〜。笑

ブルーノート

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「ならまち」にある老舗ライブハウス「ブルーノート」で3月19日に僕のQuintetで出演させていただきました。 このライブハウスが、まだ京都市内にあった時、一度だけ出演したのですが、奈良に移転してからは初めてでした。 僕は40代と50代の頃は、阪神間のお店を中心に演奏の仕事をしていましたが、地域柄でしょうか、ボーカリストを中心に仕事が回っている感じでしたし、集客はボーカリスト頼みという側面などを感じていました。 ボーカリストは女性がほとんどですので、ライブは自ずと華やかになります。 これはこれで、お店もボーカリストもミュージシャンも、そのビジネスモデルの中で諸々が成立しているわけですからいいと思います。 しかし、 それは僕が学生の頃のジャズシーンとは似ても似つかない状況だと感じています。 時代が変わった、で片付けることは簡単ですが、 今は、さまざまな理由で、ジャズがとても身近ですね。 かつてジャズは、 崇高で哲学的で論理的で難解で音楽的で芸術的で、聴く者を圧倒する「音楽のエネルギー」の塊でした。 僕にとってジャズミュージックは、おいそれと生半可な気持ちや努力、レベルでは、近づくことのできない 聖域 だったのです。(もちろん今もこの想いは変わりません。) 僕は、還暦数年前に、いわゆる「お店の仕事」は全て辞めました。 ジャズに対する畏敬の念を失いそうになったからです。 僕は自分をつくづく不器用だと感じています。笑 うまくバランスをとって頑張っているミュージシャンは山ほどいるのですが。。 僕は、今、その主戦場を「ホールコンサート」においていますが、ごく少数ですが、 僕が惚れ込んだライブハウスやお店 に出演させていただいています。 先日、ブルーノートに出演させていただいて強く感じたことがあります。 ここは、 出演者もお客様も、ホンマモンかどうか、炙り出される! って。 ここで演奏するには、 音楽に、エネルギーとオリジナリティーとメッセージが必要だ! って。 学生時代に持っていたジャズに対する「情熱と畏敬の念」を、演奏中に思い出して胸が熱くなりました。 ブルーノートはまさに僕が求めていたライブハウスだったのです。 ここ奈良のブルーノート、盛岡のK、名古屋のS、神戸のC、明石のP、岡山のT、広島のL、高松のS、松山のG、那覇のS、北谷のMなどなど、思いついただけを列挙しましたが