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コロナと戦争とアーティスト〜その2〜

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3日間のシリーズの第2夜です。 今夜は、 兵庫県豊岡市を演劇の街にする!みたいなことをされてる「 平田オリザ 」さんがコロナ禍における舞台・演劇などに関して述べられている件です。 「平田オリザ炎上」で検索すればたくさん出てくると思いますが、 ここにご紹介するブログが、とても理性的で理論的ですので、ボクが下手な文章で述べるより的確ですし、本当に凄い文章ですから、ぜひ、じっくり読んでほしいです。 ▶︎ブログ「つれづれなるままに」 (記事) 若者の人生を食らい尽くす怪物〜平田オリザ発言に思う〜」 http://blog.livedoor.jp/brothertom/archives/82030758.html ボクが平田さんに怒りを感じたのは、 上記のブログを読んだからではなく直接本人がTVで言った言葉でした。 具体的でなくて申し訳ありませんが、その発言は、 元文化庁長官の宮田さんや星野源さんと同じく、 意見や声明は 「上から目線」で「慢心」に溢れていました。 また、 他業種を明らかに低く見ている彼の心根が透けて見えました。 彼は、劇作家や演劇人を標榜し、 日本国と日本人は「芸術・文化に理解がなく、お金を使わないこと」を批判し、演劇を必要以上に高い地位に置いているにも関わらず、無料興行が多く、若手にお金が回らない仕組みを作っています。 彼と宮田さんとの共通点は、 政治や行政に深く入り込んでいる ところです。 政治や行政に入り込みますと、情報が大量に集まります。 これが何を意味するのかはご想像にお任せしますが、 くれぐれも彼が、 私たちの汗の結晶である「税金」を使っていないことを祈ります。 彼のように「アーティストの魂」を忘れてしまうことほど 悲しく見苦しいものはありません。 そして彼に芸術を語る資格はないように思います。 コロナ禍で本性を現してしまった人の一人ですね。残念。 三日目の明日は、戦争とアーティストについてです。

コロナと戦争とアーティスト〜その1〜 

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今夜から3日間のシリーズです。 もう3年目に突入している新型コロナウイルス、 そして最近のロシアのウクライナ侵攻ですが、 このような非常時に、芸術家・アーティストが 「何を考え」「何を思い」「何をするのか」 「何を言うのか」「何を発信するのか」 は、とても大切で注目されるべきことだと思っています。 そしてその内容で、 芸術家・アーティストの「 本性 」を感じ取ることができると思っています。 コロナについては、当初、コンサートやライブやイベントの中止が、文化・芸術・演劇・音楽界に衝撃を与えました。 そんな時、これらの各界の様々な「声明」や「意見」を出されたのを覚えています。 今夜のブログでは、 ボクが残念に思っている方々について書きたいと思います。 ▶︎まず、コロナ自粛が始まって、 ボクが最初にブチ切れたのは 「星野源」さん に対してです。 皆さんもよくご存知の通り、 「うちで踊ろう」 と言う楽曲を作られました。 様々なアーティストが様々なアレンジをして演奏して、それをユーチューブに流すという企画でした。 著作権フリーにされて、メジャーから無名まで、どなた様でも無断で好き勝手に演奏してもいいはずの企画 だったのですが、当時の安倍首相がこの企画に乗ってアップされた時に、星野さんはインスタグラムに 「ひとつだけ。 安倍晋三さんが上げられた“うちで踊ろう”の動画ですが、 これまで 様々な動画をアップして下さっている沢山の皆さんと同じ様に、 僕自身にも所属事務所にも 事前連絡や確認は事後も含めて一切ありません 」 という記事をアップされたのです。 今までNHKのライフや映画などで大好きだった星野さんでしたが、この記事で彼の慢心に嫌気がさし、一転、大嫌いなタレントさんになってしまいました。残念! また「うちで踊ろう」をアレンジしてこの企画に安易に乗っかったメジャーアーティスト(一般の方々は別ですよ〜、笑)も、ボクは軽蔑します。 ▶︎そして次にご紹介するのは、 当時の 文化庁長官の「宮田亮平さん」 (元東京藝大学長)です。 このお方は、市井には、名もなく貧しく必死で頑張ってるアーティストが存在していることをたぶん知らないのでしょう。 彼が文化庁長官名で発出した声明を読んで、 ボクは、 ワナワナと身体中の「汗腺」が開いて「怒り」が込み上げてくる のを感じました。 以下は抜粋です。

さくら

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 いま西宮は満開の桜、宮津はあと少し。 冬が厳しければ厳しいほど、満開の桜の歓びはひとしおですね。 樹齢の古い桜は、まるでボクの人生を見続けてくれているようにも感じます。 嬉しい時、悲しい時、どんな時も無言で、年に一回、ご褒美をくれるんですよね。 西宮には全国的に有名な夙川河川敷公園以外にもアチコチに桜が咲いています。 ぼくは、越木岩神社の参道の桜並木がお気に入りで毎年定点観測してますね。笑  昨年からは天橋立の桜も楽しみなんです。 時期が微妙にずれているので 二度美味しいです。笑 日本人は古来から桜の満開と散り際を人生に擬えてると感じます。 それは、満開の桜と、見事な散りっぷりがあまりに対照的でしかも短期間に出現し、 「人生、かくありたい」 と思うんですよね。 植物をとても美しいメタファー、比喩的な存在として捉えるところに、日本人特有の美意識と潔さを感じます。 ボクは自分に満開の時期があったのかどうかすら分からない人生を送っていますが、散り際は桜のようでありたいですね。

KBS京都ラジオ「本日、米團治日和。」

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先月、桂米團治さんの番組「 本日、米團治日和。 」にゲストとして出演させていただきました。 その放送日時が近づいてきましたのでお知らせいたします。 4月6日(水)と13日(水)のそれぞれ午後5時半から6時まで。 2週にわたって放送されます。 この収録をボクは本当に楽しみにしていました。 米團治さんは、ぼくと全く同い年生まれ、同じ学年なんです。 高校は、 ぼくが県立芦屋高校で、米團治さんは県立尼崎北高校。(←進学校) めちゃ近くて、同じ阪神間の空気を吸って高校時代を過ごしただけでも親近感バリバリです! そして、クラシックをはじめとする音楽に造詣が深い方で、オフマイクの時は音楽談義で盛り上がりました! 実は14年前、サンケイホールの今は亡き田村支配人からオファーをいただいた仕事が、2008年の「米團治襲名披露」の時に、会場のサンケイホールブリーゼのホールに続くロビー通路でボクがピアノ( ピカピカの木目のスタインウエイ )を弾いて米團治さんを迎える、というものでした。 その時、たくさんの取り巻きのスタッフ等の方々に囲まれて、スタインウエイを弾いているボクの横を通ってホールに入っていかれました。 実はその時「目が合っていた」ので、ご本人に何かしらの記憶があるかお尋ねしたところ「いっぱいいっぱいだったと思います。覚えてません。」とのお言葉。 なんと正直で赤裸々な方やな〜と感じ入りました。 ※余談ですが、その時にスタインウエイを手配し調律してたのが、今現在ボクの調律をしてくださってる磻田さんだったのです! ご縁は繋がるものですね! 米團治さんは、落語界の大御所でいらっしゃいるにも関わらず、 人を圧するのではなく、フワッとした優しいオーラを発せられる方 でした。 「ホンモノもどき」は凄い圧のあるオーラを発します。 しかし「本当のホンモノ」は人に圧力をかけるオーラなんかかけません。 一見普通で心がホンワカしてジワっと温かくなるオーラを出すものです。 ボクが学ばねばならない一番大切なことだと思いました。笑 米團治さん、 ありがとうございました。 KBS京都のAMとFMの周波数は添付の画像にあります。 今時ですからパソコンで聴くこともできるし、スマホアプリ「radiko」でも聴取可能です。 皆様、ぜひお聴きくださいね! https://www.kbs-kyoto.co.jp/

「杉田あきひろ」のこと〜2〜 

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2021年7月京都府宮津市の「歴史の館文化ホール」、2021年10月兵庫県西宮市の「兵庫県立芸術文化センター小ホール」、2022年1月京都市の「妙心寺花園会館教科ホール」の3回の、ボクのバンド「The Trio Empathy」(Vn/渡辺剛・Vc/向井航)のコンサートにゲストとして出演をしていただきました。 それらコンサートでは、ボクが作詞作曲した楽曲を彼が唄い、ボクの「表現としての音楽」の具現化には、渡辺剛・向井航に並んで、不可欠な存在であることが回を重ねるごとにクリアになっていったのです。 そして、 ついに、杉田あきひろ・金谷康佑「The NEO」を立ち上げることになったのです。 命名はボクがしました。 「NEO」という言葉の意味は、ギリシャ語ですと「新しい」、英語ですと「復活」といったような意味があります。 杉田が「シンガーで、音楽家で、アーティスト」として、「新しい復活」を遂げてほしいという願いを込めました。彼も気に入ってくれたようです。 なぜボクは杉田と音楽の仕事をやっていくことにしたのか。 (これはとても大切な問いです。) それは、彼がボクの求めるシンガーだからです。 ですから、ボクと杉田は「Fifty Fifty」対等な関係です。 彼が悪いながらも話題になったからそれに乗じようと思っていないし、逆に、応援してやろうとも思っていません。 あくまで、ボクの音楽に彼が必要だから一緒に音楽を作り、 演奏し、仕事をするだけです。 ですから、ボクと杉田は「Fifty Fifty」対等です。 ボクはこの関わり方こそが重要だと思っています。  杉田は全国区の人ですので、 広範囲にわたって昔からのファンの方々がいらっしゃいます。 そういった方々は、杉田を本当に大切に思い、扱ってくれています。 しかしながら、逮捕後の世間の人は、覚せい剤で逮捕された元NHKの歌のお兄さん、興味津々で、有象無象の人が彼に寄っていくことでしょう。 最近現実にあったことですが、 ちょっと知り合っただけで、友達になった気分で、応援するふりをして、無責任に呑み会に誘ったり、無責任に人を紹介したり、無責任に仕事っぽいものを匂わせたり。。。 杉田は、無茶苦茶に繊細で傷つきやすく、そしてお人好しです。 そこに乗じる輩を彼は断れないのです。 こういう輩は、 杉田を前科者として色眼鏡で見ているし、結局「色物

「杉田あきひろ」のこと〜1〜 

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杉田との出会いは、 ドラマーの堀越彰 氏がオヤジのツアーに参加した時です。 僕はミュージカルが大好きでしたので、そのツアーのミュージカルの曲や語りを中心とした内容はすごく難しかったのですが、クオリティーは高かったし、それをやり遂げる杉田あきひろというアーティストは凄い!と感じていました。 そして2009年に西宮アミティホールでの僕のリサイタルに出演してもらいました。 その後は少し疎遠になっていましたが、共演のチャンスをうかがっていました。 そんな中、 2016年4月13日に彼は覚せい剤取締法違反の現行犯で逮捕されてしまいました。 NHKの歌のお兄さんとして全国に親子ファンが多かっただけに、また逮捕の内容が覚せい剤絡みということで、衝撃は大きかったように感じました。 ボクにとっても、共演者であり大好きなシンガーであり、そして何より、ボクの「表現としての音楽」の手助けをしてもらおうと思っていた彼の逮捕は、とても残念に思いました。 そして、同時に、彼の心身の健康をとても心配しました。 覚せい剤絡みの犯罪は「人を殺めたり、強盗したわけではないんだから、、」なんてことを言う人もいます。 しかし、ボクは、この犯罪の本質は、反社会勢力の資金源になったり、精神に異常を来して重大な犯罪を犯してしまう可能性があるところだと思っています。 そして、実はそれ以上に、家族や友人の心を傷つけてしまうという、法律には書いてないけど、法律以上に大きな罪を犯してしまうことになることだと思っています。 2016年6月20日に、懲役1年6ヶ月・執行猶予3年の判決がでて、しばらく経ってから彼の携帯に電話したりメールしたりしたのですが、どちらも不通でした。 後に本人から教えてもらったのですが、判決後、長野ダルクに入所し、そこは携帯電話を持つことを禁じられていたとのことでした。 さて、時は過ぎ、 2019年9月19日にFacebookで彼を発見しようやく連絡がついたのです。 すぐに仕事の打診をしたのですが、 彼は長野県松本市で介護の仕事をしていて今は松本を離れられないとのこと。 しかし、 2020年には東京に戻れるかもしれないので、 その時に具体的に仕事の話をしたいと思います、とのことでした。 そして、彼は東京に戻り、音楽の仕事の再開にも意欲を見せ、 ついに2021年7月4日の京都府宮津市での 「音楽のチカラ

コロナと戦争と。。

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今日のブログは、少し文字を大きくして書いてみました。 (自分も含む老眼の方々に少しでも読みやすくなれば幸いです。) 今日は全国的に荒れた天候だったそうですが、京都府宮津市は、昨夜から台風並みの暴風が吹き荒れました。外出はとても危険に感じましたので、一日、家の中でこちょこちょとデスクワーク的なことをやっていました。 4月の東京ツアーの準備もアレンジなどぼちぼち始めています。 4月と5月は比較的エネルギーの必要なスケジュールですでにいっぱいで、6月と7月のライブスケジュールを立てたいのですが、ステルスオミクロン・4回目のワクチンなどなどを予想すると、おいそれとスケジュールを立てることができないですね。 僕の場合、ライブやコンサートを開くにあたってルーチンとしている準備のステップが何段階かあって、決めた日程が延期や中止になるとそれらが全てやり直しを余儀なくされて、事務所はてんやわやになってしまうのです。 さて世界では、戦争の状況が地上波・SNSなどで日々報道されています。 僕はそれらの情報について、慎重に取り扱い、慎重に理解したいと思っています。 映像にしても、昔、僕のプロモーションビデオを撮影してくれた監督が僕に「こうすけさん、今日撮った動画で、こうすけさんを悪人にも善人にも仕立て上げることは簡単ですよ!笑」と言いました。僕は背筋が凍ったのを覚えています。笑  世界の国々や民族には、日本もそうであるように、その歴史や出来事があって今日がありますよね。 それに、それぞれの国と民族で、同じ事象でも解釈が真逆のことも多々あります。(よく聞かれる言葉に「日韓の歴史認識の違い」とかありますし。) 対立する国や民族が、歴史をどこまで遡って善悪をぶつけ合うのかも認識が異なるはず。 それによって、どっちが先に手を出したのかも認識が違うはず。 さらには、本当に驚くべきことに、真実が決して一つではないこともありうるのが国際社会だと感じています。 そして、日本から遠く離れた地域の歴史など知らないことが多いと思うんです。ウクライナとかロシアの細かい事、日本では事情がよくわからないですよね。 ですから、僕は、国と国の争いの場合、どちらに正義があるのかは、判断がつきません。 言えることは、「人を殺すこと」「人を殺させること」すなわち「戦争」はダメだ!という事だけです。 そして、僕は、その普遍的な価