コロナと戦争とアーティスト〜その3〜 

三日間のシリーズの最終夜です。


二日間にわたって

コロナ禍において芸術家の本性が現れたお話をしました。


今夜は「戦争とミュージシャン」について述べたいと思います。


今、ロシアのウクライナ侵攻によってウクライナ始め、世界中が大変なことになっています。

多くの芸術家・アーティスト・ミュージシャン・芸能人・ユーチューバー・インフルエンサーが、まるで出さなきゃいけないもののように、あるいはめちゃくちゃ背伸びして「声明」を出しています。

声明を出した人については、もうアホくさくて具体例は出しません。

(もちろん一般の皆さんは、声明を出しても問題を感じません。)


ボクがこの手のことで、最初に違和感を持ったのは、

1990年〜91年湾岸戦争時の「坂本龍一」さんに対してです。



「いかなる戦争にも反対」という声明を出し、湾岸戦争反対に乗じて、戦争反対の主張など微塵もないアルバムを発売したり。

「えーっ!声明なんて出すんや!なんで??」と素朴に驚きました。



ボクが薫陶を受け、師と仰ぐF氏は、生前、坂本さんのことをかなり痛烈に批判されていました。

それを聞いた時は、正直、ピンと来なかったのですが、坂本さんを知れば知るほどF氏のおっしゃったことが腑に落ちてきました。

それは

「彼には音楽の才能はない」「商業第一主義だ」というものでした。


「戦争」→「声明」→「他のアーティストとは違う一段高いポジションに見せる」→「アルバム発売」


という、えげつないビジネスモデルを作ったんですねえ。


ボクも含めてミュージシャンは生きていくために、自分の創る、あるいは奏でる音楽をお金に換えることによって生計を立てているわけですから商業はとても大切で、無料はあってはならないと思っています。


しかし、売り方は選ばれなくてはなりませんし、金額は常にフレキシブルでなくてはなりません。

(ちなみに、ぼくは「無料」(タダ)と「0円」(これは有料です)を区別しています。)


作品が、戦争や災害に対する考え方を表現しているのならそれは必要なことですが、作品が関連していないのならば、戦争や災害に乗じてはいけないと思います。


ボクのこのシリーズの根底にある考え方は、

芸術家・アーティスト・ミュージシャン、それぞれは、それぞれの作品でのみ、その「思想」を表現するべきである、というものです。

作品以外に「声明」のようなものを発出することに強烈なアレルギーと違和感を感じています。


本分は「作品によって、人の心を動かし、ひいては、社会全体に変革をもたらす。」ことではないでしょうか。

本当にそんなことができるのか!?あるいは、その考えこそ「慢心」ではないのか!?という自問自答の葛藤は、もちろんボク自身つねにに抱えていますが、自分を信じたいと思います。

では今夜はこのへんで。



※画像は天佑庵ピアノホールの入り口ロビー。

コメント

  1. 商業主義の音楽と、「思想」を表現している音楽とをきっちりと聞き分けられる耳を持ちたいと思います。

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    1. そうですね!
      聴き手の資質も問われていますね!

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