さくら

 いま西宮は満開の桜、宮津はあと少し。

冬が厳しければ厳しいほど、満開の桜の歓びはひとしおですね。

樹齢の古い桜は、まるでボクの人生を見続けてくれているようにも感じます。


嬉しい時、悲しい時、どんな時も無言で、年に一回、ご褒美をくれるんですよね。

西宮には全国的に有名な夙川河川敷公園以外にもアチコチに桜が咲いています。

ぼくは、越木岩神社の参道の桜並木がお気に入りで毎年定点観測してますね。笑 

昨年からは天橋立の桜も楽しみなんです。

時期が微妙にずれているので

二度美味しいです。笑


日本人は古来から桜の満開と散り際を人生に擬えてると感じます。

それは、満開の桜と、見事な散りっぷりがあまりに対照的でしかも短期間に出現し、

「人生、かくありたい」

と思うんですよね。


植物をとても美しいメタファー、比喩的な存在として捉えるところに、日本人特有の美意識と潔さを感じます。


ボクは自分に満開の時期があったのかどうかすら分からない人生を送っていますが、散り際は桜のようでありたいですね。

コメント

  1. 素敵なエッセーをありがとうございます⭐️
    この桜に込められた想いは、金谷先生の音楽からも感じられるように思います。

    文章も音楽も、先生そのものなんだと改めて感じました。
    (素人なのに生意気なことを言って、すみません)



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