「苦労」という言葉にまつわること
ひと昔前には 「若いうちの苦労は買ってでもしろ」なんてよく言われましたよね。 逆に今は 「苦労なんてしなくていい。」って言葉もよく聞きます。 そういうのを聞いて思うんですけど「苦労」って、売ったり買ったり(笑)とか、した方がいいとか、しない方がいいとか、って種類のものではないですよね。 自分の身の回りに起きることっていうは、 たいてい自分にとって「起こることが必要なこと」なんじゃないかなー。 つまり、運命とか運勢とかの観点から見ると、あらかじめ予定されていたことだと思うんですよね。 だからといって全ての「苦労の発生」を自分でコントロールできないか、というと、そうでもない。 自分の意思とは無関係に発生してしまう「苦労」はもちろんあるのですが、「Aの道を行くか、Bの道を行くか」という判断は、自分がするわけですから、選んだ道に進んだ結果、たいへんな苦労をしたり修羅場に巻き込まれたりすることは「自分が決めた結果」なんですよね。 30歳くらいの頃に読んだある書籍によると 「自分が生まれていく『親』さえも自分の魂が決めている。」とのこと。 僕には魂としての記憶がないので、本当のところは分かりませんが、自分の両親のことを思うに「魂の修行のためにこの両親の元に生まれ落ちることを自分の意志が選んだかも!」って思えてしまったりしますね。笑 で、その目的は「未熟な自分が(あるいは自分の未熟な魂が)少しでも向上するため」なのではないかと。 苦労ってその渦中にいるときに苦労だ!って感じることもあれば、 だいぶ時間が経過してから感じるものもありますよね。 ボクが今の若い人々に「苦労」について声をかけるとしたら、 きっと異論百出でしょうけど、 「AとBのどちらかを選ぶ場合、楽でない方を選んどきね〜!」です。 苦労は 1)自分の限界点を教えてくれる。 その時点での自分の器の大きさがわかるので、苦労を克服するための様々なスキルを向上させることに繋がります。 2)根拠のない自信を粉々にしてくれる。 時に人格を破壊してくれる人と出会うので、謙虚さを会得できます。 3)滅多にできない体験をさせてくれる。 その苦労の種類によりますが、ボクの場合は、父の会社の倒産から派生する出来事をたくさん体験できました。例えば、倒産の法的な事後処理の仕方とか、個人資産の残し方とか。笑 「音楽」に置き換えてみますと、 よく「